弁証法的機能不全とパーソナリティ
DBTを求める人の多くは混乱した自己イメージを抱いています。周りの人にとっては、自己表現がぶれ、考えやムード、願いや行動(パーソナリティと呼ばれるもの)に一貫性がないと映ります。心理の世界では一般に自己イメージやパーソナリティは、自分を人と分けるもの、時間や環境が変わってもある程度安定しているものと位置付けますが、弁証法的世界観はこれとは少し違った考え方をします。
まず、「唯一変わらないのは、変わり続けること」という概念は、自己イメージやパーソナリティ、ひいてはアイデンティティにも共通すると捉えます。人間は流動的なシステムで、他の流動的なシステムと交わっていくなかで常に変化します。逆も同じです。変わり続けるという法則には、自己像もパーソナリティも抗えないと捉えるからこそ、パーソナリティ障害と言われているもののセラピーが成立します。「私は変われない。私は頑固だし、これはパーソナリティだから絶対治らない」と言う人もいるかもしれません。それでも、そのイメージやそう思わせる思考や行動が変化するのは可能だと信じています。
生きやすいと思えるときは、行動をその場の状況に応じて最適化するという作業が効果的にできているときです。この才能が問題になるのは、自分の思考、感情、行動のすべてを回りの人の反応に合わせて調整するのが常になってしまっているとき。直観的に「違う」と感じても、それとは合致しない思考を披露し、受け入れられなそうな感情は押し殺し、周りに期待されていると感じる行動を取り続けることで、自分がどんな人間なのか分からなくなっていきます。境界性人格障害の傾向がある人達は、一定の環境(職場など)ではまったく問題なく行動できるのに、他の環境(恋愛関係など)では相手を困惑するような行動にでるようなことがしばしば起こります。
周りの人、時間、空間、状況といった環境の変化との関係を主体的に体験できないとき、人はすべてのものが二者択一で、ある一定の状況で一度起こったことを普遍だと感じるようになります。誰かが一度「あなたはだめだ」と言ったら自分は永遠にだめな人と感じたり、自分が言ったことで誰かが怒ってしまったら、自分は人から嫌われる人間だと感じたり、自分のここが嫌だと思っている些細なことが、周りの人全部にとってあなたの価値を決定づける大問題のような気がしたり。自分の一部が全体を乗っ取るような感覚と言えば分かりやすいでしょうか。
自分は絶対に変われないと一方で信じながら、他方ではあらゆる手段を使って環境の望む自分になろうとする。この両極端さが引き起こす自己イメージの混乱が弁証法的機能不全です。セラピーでは変わらない自分と変わる自分の両方とも自分であることを受け入れ、両極端で矛盾しているのに頑な自己イメージから脱却すること、どんなに環境が変わろうと、自分の意志で行動を決めていける自信を身に着けることを目指します。
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