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多様化する日本における境界性人格傾向

多様化する日本

今、日本の社会構成は大きく変わっています。長い間、私たちは「日本人」「家族」「結婚」「男性・女性」「母親・父親」「社会人」「学生」というような言葉で一定の概念がある程度成り立つのが前提で、みんなほぼ同じであることが国としての日本の強みであり、ユニークさであり、アイデンティティの骨幹でもあると教えられてきました。それが、生活様式の多様化、あらゆる場面での個人の選択肢の拡大、社会的性差や経済格差に関する認識の高まり、日本以外の文化に慣れ親しんだ日本人の増加、年々増える外国人居住者などを通して、様々な価値観が共存しているという事実を日常生活で無視できなくなってきました

 

臨床の場で感じたこと

2016年1月から私は毎週私設のカウンセリングセンターで毎週15人から20人のクライアント様にお目にかかってきました。私がお目にかかる方の9割は自分は既成概念には属さないと感じる方たちです。外国人労働者、留学生、国際結婚の家庭に生まれたいわゆるハーフ、外国人と結婚した日本人、日本人と結婚した外国人、外国生活が長い日本人、LGBTQ、シングル・ペアレント、複合家族の一員、仕事環境になじめない人、ハラスメントや虐待の被害者など。私のクライアント様たちが心理相談に来られるときにはほとんどの方が最初は抑うつや不安を訴えておられるのであって、私の専門である境界性人格障害を疑ってくる方の方が逆に少数です。それでも、ほぼ全員が今まで経験したことのないような怒り、職場や恋愛関係での人間関係の想像を絶するもつれ、慢性的な空虚感、自己像の混乱などを訴えます。これらはすべて境界性人格障害と共通するものであったため、境界性人格障害が発症する背景と、社会的少数派に属するということに何か共通点があるのかという疑問が生まれました。

社会的少数派の心理、文化背景、そして異文化適応のための行動

一見共通点のない日本の社会的少数派に属する人々の心理的葛藤と、境界性人格障害の症状をつなぐものを模索するうち、2つの興味深い理論に巡り合いました。   

ストレスー適応ー成長 モデル

一つ目は異文化適応モデルです。多文化間コミュニケーションの教授であるヤング・ユン・キム博士(2017)は、移住してくる個人と彼らを受け入れる社会のもともとの性格が個人の異文化適応に影響していると提唱しています。リネハン博士(1993)のバイオ・ソーシャル・モデルに近い形で、移住直後から個人と社会の間で取引が起こるというのです。個人が外交的で、神的弾力性があり、前向き思考であると異文化適応が比較的スムースである一方、受け入れる社会に社会規範や慣習への協調を求める傾向が強い場合、そこに来る個人の適応は難しくなるいいます。協調圧力は最初はとても微妙な形で表面化します。例えば、「受け入れる側の困惑」かもしれません。それが時間の経過とともに協調しない移民者に対するストレスがたまると、個人の行動の否定やステレオタイプとしてもっとはっきり表出します。キム博士は民族同一性が高く、地理的に孤立している日本のような社会では非協調を受け入れる地盤が薄いと提唱しています。

更にキム博士は異文化適応は従来言われてきたような大きな一つの波ではなく、小さく逆戻りしては少し前に出る、をループのように繰り返すと提唱しています。ストレスを感じるような出来事があると移住者は一旦落ち込み、適応プロセスを逆戻りしているように見えることがあります。落ち込み、環境を否定し、自分は大丈夫かと内省するこの時期は確かに苦しいのですが、適応は一直線ではありえず、この逆戻りから抜け出すプロセスこそが、適応できるかどうかの境目です。もがきながら落ち込みから飛び出す力を蓄えるこの時期は感情がぶれますし、周りとの衝突が発生しやすくなりますが、その感情のぶれや、人との衝突を乗り越えられるかどうかが適応の鍵です。私は、このプロセスは、国際的な移住だけではなく、少数派として新しいアイデンティティや自分の社会での立ち位置を模索する過程で広く起こるのではないかと思っています。

無意識に起こる「経験の打ち消し」

 

2007年にスー博士と同僚たちは、それとは気づかないほどの人種攻撃がアメリカ社会には存在すると提唱しました。やっている側もやられている側も気づかず、悪意もない些細な人種的特徴に関する言葉や、特定の人種とのかかわり方、軽口として処理されてしまいががちな屈辱などがその例です。例えばアメリカで生まれ育ったアジア人は「英語が上手だね」と言われ続ける。つまり、市民として見られない。スー博士はこれを現代における、象徴的な人種差別で、意識に上らないままあちこちで行われているとしました。この現代的な人種攻撃のひとつとして、スー博士らも「打ち消し」という言葉を使っています。 少数派に属する人たちの考え、気持ち、経験や主観を否定したり、変わっているね、勘違いだよと一笑したりすること。やっている本人が気づかないほどの打ち消し。

リネハン博士(1993)と同じように、スー博士も、「打ち消し」は少数派に属する人たちに、彼らの反応や感覚は大げさで、勘違いだというメッセージを送ります。彼らは被害者を装って些細なことを大問題に仕立て、環境を乱そうとする加害者で、別にここにいてもらわなくてもよいという印象を個人に植え付けるのです。こういう経験をするたびに少数派の個人は、自分が今感じたことは実際起こったのか、自分の感覚は正しいのか、それとも自分が変なのか、自分はここにいるべきなのか、という疑問にさいなまれることになります。

日本社会に増えつつある少数派の人々を支えるために

これらを考え合わせ、私は少数派の人たちが適応ストレス反応を起こす過程と、一般的に境界性人格傾向(障害までいかなくても)を発症する過程には多くの類似点があると仮定しました。具体的には、私は次の5点を仮定して、ストレス反応を起こしている少数派の人々にDBTを積極的に採用しています。 

  1. 日本社会に増えつつある少数派の人々は、キム博士(2017)が提唱するストレス―適応ー成長モデルと似た適応のプロセス途中にある。その「逆戻り」フェーズにおいて、感情の機能不全、人間関係の機能不全を経験しうる。 

  2. 現在の日本社会にもスー博士(2007)が提唱する「現代的で象徴的な」少数派差別が存在し、多数派は少数派の人々の個人的な経験などを気づかないうちに打ち消すようなコミュニケーションを無意識のうちに日常的に行っている。

  3. 日本社会の協調圧力(Kim、2017)と少数派の人々の経験の打ち消し(Sue et al., 2007) はリネハン博士の提唱した「感情を打ち消す社会環境」に似た環境を生み出している。これが少数派の人々を更に過敏にし、その反応を過激にし、なかなか気持ちを落ち着かせることができなくする一因となっている。

  4. これが高じて日本社会で少数派に属すると認識する人々は、軽い境界性傾向を表出する。特に、ひっきりなしに起こる周りの人との衝突、感情の激しいぶれ、痛みを避けるための解離的思考、さらに自分で自分の経験を打ち消していく作業などに特徴づけられる。

  5. DBTは、新しいアイデンティティを構築する過程にある個人と、それを受け入れるホスト社会の間の駆け引きを理解し、ストレス―適応ー成長のサイクルを乗り切るための具体的なスキルを提供することができる。そのため、このグループに対して有効であると思われる。

日本社会が多様性を心から受け入れるために

日本社会の多様化はもはや止まらないでしょう。今後も外国人学生や労働者は増えるでしょうし、日本人の中でも価値観の違いや生活の選択の幅など、個人の違いがさらに顕著になってくると思います。日本社会の一員として多数派に属する私たちは、自分たちが「多数派」であるという自覚を持ち、社会と人口構成の多様化を、多数派少数派の力関係という観点から真摯に見つめる必要があります。既存の仕組みや慣習は多数派にとって有利で便利であっても、少数派には恩恵がない、分かりづらい…というようなことが多々あります。多様化の推進は政治的に正しいことだと分かっていても、これまでの既得特権や慣習を拡大解釈する、変える、少し諦めるといった現実的な調整に直面して、心理的に納得がいくかどうかは分かりません。その葛藤が移住者を受け入れない協調圧力や打ち消しのコミュニケーションにつながっていくのです。これを理解しない限り本当の多様化はなく、表面上同じ地で暮らすものの、お互いを理解できず、排他的な行動を取り合う不幸な状況に陥ってしまいます。日本社会が、日本市民が、本当の意味で多様化を受け入れられ、その恩恵を享受するものであるために、DBTを用いて少しでもお役に立てばと思っています。

References 

Kim, Y. (2017). Cross Cultural Adaptation. J. Nussbaum (Ed.), Oxford Research Encyclopedia of Communication. New York, NY: Oxford University Press. DOI: 10.1093/acrefore/9780190228613.013.21

Linehan, M. (1993). Diagnosis and treatment of mental disorders. Cognitive-behavioral treatment of borderline personality disorder. Guilford Press.

Sue, D.W.et al. (2007). Racial Microaggressions in Everyday Life Implications for Clinical Practice. American Psychologist 62(4); 271-286. DOI: 10.1037/0003-066X.62.4.271

Takaki, M (2020, March). Dialectical Behavior Therapy – Its relevance for Japan in social transition.  Think Tokyo 2020. Symposium conducted at the meeting of The Asian Conference on Ethics, Religion & Philosophy (ACERP), Tokyo. 

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